昭和47年10月22日 特別奉修委員
元気な心で信心せよと、元気な心と色々に頂かせてもらうんですけれども、あの先ほど野口さん所の姪っ子さんのお届け聞かせて頂きよって、まあこういう心が元気な心だなぁこういう心なら神様を動かすなと思わせて頂いたんですけど。こんどのあのう、今小学校に行っております二人のあの子供を、記念祭だからとの事で、学校を休んで、お参りして今日帰ると言うお届けがあってるんですけれども。
それに、どう言う風にして、あの、学校にお届けしたかと云うと、私共は、あの、金光様のご信心をさせておりまして、その、おかげを頂いておる教会が今年5周年の記念のご大祭がありますから、子供たちを休ませたと思いますからと云うてその、まぁ二人の子供の先生たちにお願いしたら、ああそうですかと云うて、まぁ納得してもろうて、あの、こう休ませた。
でもよかったね、あの、病気でお休みするとじゃないから、有り難いねと言うて、まあ子供達に話した事ですけれども。なかなか言えない事ですよね。是は自分の信心と云う物を立派なものだと思っとらなければ言える事じゃないですね。自分の信心と云う物を、もう絶対のものとして思うとらなければ、そんなに正面切って、まあ信心のない者に、凝り積ませる様な事があっちゃならんから。
まあ親戚にちょっと死人がありましたけんとか、病人が出来ましたけんで、子供連れてかな出来ませんけんぐらいな事でね、言うならばそれもまた、私はば、おかげですよね。けれども、もっと素晴らしい事は、私あの、自分の頂いておる信心を堂々と、正面からあの、もっていけれる。私は金光様のご信者ですっと堂々と胸を張って言えれる信心。そう云う信心がね、私は元気な心だと思うですね。
どうぞ。